活動日記

2019/09/23(Mon)
どう生きるべきか・そのA
18歳の濱田少年は、大学受験をするも全敗。(結局、国立大学は足切りが予想されたため受験を回避し、早慶のみ受験。)

当時は予備校全盛時代。どこの予備校に通うか少し迷ったが、結局、福岡市の博多駅前にある代々木ゼミナールに通うことになった。親元を離れて初めての一人暮らし(といっても代ゼミの寮暮らし)。が始まったのだ。

代ゼミでは、難関私立文系コースを選択。当時、そのコースには1クラス300人が定員で、2クラスで計600名もの浪人生が通っていた。

塾に通ったことがなかった濱田は、代ゼミの授業に衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。カリスマと呼ばれる講師達は、浪人生を相手に笑いあり、エピソードあり、受験テクニックあり、のいわゆるカリスマ授業をやってのけるのだ。

カリスマ講師によるカリスマ授業。

4月が終わり、5月が終わり、6月が終わる頃には、「こんな授業を受けていたのでは、目標とする大学には絶対に受かることはない」ことを確信。

8月の夏季休暇以降、一切授業に出ることはなくなったことを覚えている。8月以降やったことは、来春受験する大学学部の最低でも過去10年分の試験問題の演習。

濱田は早稲田大学が第一志望だったので、政経、法、商、教育、社学の5学部の過去の試験問題を10年分。そして慶応大学の法学部と文学部の10年分をひたすら解きまくったのであった。

これはかなりの量になることが分かる。

秋以降は一切、代ゼミに通わず、ひたすら部屋に籠って試験問題と対峙。同時に当時発行されていた参考書や問題集は、ほぼ一通りやり終えたと思う。

1年間で驚くべき量の勉強、学問ではなく、受験勉強をやり遂げたと思う。

年が明けて2月、当時私立で最難関と言われた政経学部には、英語と国語の試験が終わった瞬間に合格を確信。残りの選択科目の日本史は、暗記科目であり、間違いようがないのである)

早稲田大学の良さというのは、頭が良いかどうかを問う大学ではなくて、「お前はどこまで努力できたのか?」を問う大学だということである。

努力の度合いを公平に問う大学。それが早稲田。

ちなみに、代ゼミ博多校の難関私立大コース600名の中で、早稲田大学政経学部に合格したのは濱田一人であった。同時に慶応も受かったのは濱田一人であった。

濱田は、こんなことを書いたのは初めてであるが、誤解のないように書いておくが、自慢したいわけではない。

世間一般で通っていること、皆がそうだと信じていること、人と同じことをやっていたのでは、決して自分の人生に道は開けないということを、19歳の時、経験上悟ったのである。

(続く)

2019/09/22(Sun)
どう生きるべきか
濱田は、中学の卒業アルバムに「先例のない独創の道を歩め」と書いた。

この言葉は、坂本龍馬が手帖に走り書きで書いた言葉。

中学二年の夏に、すでに『竜馬がゆく』全8巻を読んでいたので、ませた中学生だったのだと思う。

ちょっとスケールは小さいが、その後、濱田はその言葉通りの人生を歩んできたと言えるのかもしれない。

自分なりの独創の道。

濱田は、現在49歳。1浪の末、早稲田大学政治経済学部に入学し、その後、業界6位の総合商社・日商岩井に入社するも30歳で退職し、32歳で県議選初挑戦。しかし落選。36歳で初当選も40歳で再度落選。その後44歳で返り咲き、現在3期目の49歳。2期目の途中で、介護関係の会社(デイサービス)を起業し、現在2店舗で従業員は24名。来春、さらなる事業展開が待っている状態にある。

挫折といくつかの成功があった人生だったことが分かる。

会社を辞めたことがある人しか、実感がわかないかもしれないが、特に【自己都合】で会社を辞めた場合、世間の信用というのは限りなくゼロに近づく。

30歳で会社を辞めた際には、当たり前のことであるが、給料はなくなり、社員証もなくなり、健康保険証も厚生年金も、とにかく濱田の存在を保証してくれるものは、ほぼ何もない状態となった。

無頼漢と呼ぶにふさわしい存在。

では、濱田はなにを目的に生きてきたか?そして様々な経験を通じて、なにを考え生きて来たのか?今回、そのことに関して記しておこうと思う。

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先ず、自分の頭で考えて生きていくこと。

これを徹底してきた人生であったことを強く思うのである。

濱田は、小中高を通じて塾に通ったことはなかった。中学生時代は、特に勉強するでもなく、成績は良かった。5教科は中学時代はオール5。そして予定調和的に地元のトップ校である熊本高校へ進学。

勉強癖が付いていない学生が、地元トップの高校に進学すると成績は全く振るわないことになる。中学までは、授業を聴くだけで、ほぼ内容を理解し、自分の中で消化できていたのだが、高校ともなるとそうはいかなくなる。予習そして復習が欠かせなくなるのだ。しかし、そんな習慣がないため、成績は振るわなかった。1学年、約450人中、300番前後が定位置という状態だった。

当時は、将来何になりたいとか、どこの大学に入りたいとか、そんな明確な目標は全くなくて、つまりまだ何も始まっていないし、何者でもない存在だったと思う。

そういう状態で高校3年間を過ごしたため、これまた予定調和的に浪人が決まった。濱田が高校を卒業したのは平成元年(1989年)で、時はバブル絶頂であり、世の中が大きく変わろうとしている時代だった。

濱田は、大学受験のため18歳で事実上初めて上京。

その際、一番印象に残ったことは、2月の寒空の下、高田馬場から早稲田大学に至るまでの約3キロ程の道のりに、受験生が途切れることなく続いていたことであった。

大学の正門の前には数万人の受験生が押し寄せていた。

当時、記念受験という言葉が流行り、倍率は40倍を超える状態だったように記憶している。

濱田は、生まれて初めて、人間社会は基本的に【競争】によって成り立っていることを実感したのであった。

(続く)

2019/09/21(Sat)
懇親会にて
21日、東京六大学の懇親会があった。ホテルキャッスル。

六大学の懇親会は、今年で5回目で、今年の幹事校は東京大学。出席者は200人近くに上り大変な賑わいとなった。

毎年、懇親会の前に各界有識者の講演があり、今年は崇城大学の井芹名誉教授(元共同通信記者)だった。

濱田は、昨年開かれたこの会は東京出張のため欠席。2年ぶりの参加となった。

懇親会が開かれると、何人かの経営者から「メールマガジン、あれは良いね」と言われた。中には、「社員に読ませている」と言ってくれた方もいた。ある熊本の老舗の会社の会長(東大卒)からは、「濱田君は、稀有な存在だ。いつもメールマガジン、楽しみに読んでますよ」とのこと。

先日もスポーツジムのサウナで、隣のご老人から、

「県議のメルマガいつも読んでます。あれ濱田さんが全部書いてるの?県議会の質問のテーマはどうやって選んでいるの?」

と訊かれた。

「ありがとうございます。嬉しい限りです。濱田が全部書いてます。テーマはその都度決めていきます」

と応えた。

懇親会の後、同窓のメンバー5人で飲みに行った。30代1人、40代が3人、60代が1人。皆、会社の経営者。政経が3人、法学部が1人、理工が1人。法学部の先輩は、ある銀行で最近まで常務を務めていた方。

皆さんから、かなり面白い話が聴けた夜となった。


2019/09/19(Thr)
最低賃金について
19日、第三回地域対策特別委員会が開催された。この特別委員会は、本年度新設された委員会。地域に関する様々なテーマを議論することになる。

議論の中で、最低賃金の議論となった。

毎年夏、最低賃金の見直しが行われる。

この夏、中央・地方最低賃金審査会(公益、労働者、使用者の三者の代表で構成)は、47都道府県を A、B、C、Dの4つのランクに分け、熊本県をDランクに位置づけている。また、熊本県の最低賃金を昨年度より26円アップして790円にするも、最低賃金としては全国最低となった。

東京都は28円アップ1013円となり、わが国で初めて最低賃金が1000円を超えた。本県との差は223円となった。

この夏の参議院選挙では、各党は公約で最低賃金のアップを掲げた。

各党の最低賃金の目標額は以下の通りである。

自民党    1000円
立憲民主党  1300円
共産党    1500円
れいわ新選組 1500円


現在濱田は、デイサービスを2店経営しているが、従業員の給与体系は国の介護報酬と相関関係にあるため、資格のあるなしにもよるが、各党が掲げる最低賃金を出したくても出せない、というのが実際のところだと考えている。

会社を経営していると、幅広い年齢層から働きたいという履歴書なり声なりが届く。この2年で、70歳を超えた方から履歴書が届いたこともある。

働きたい動機は個々人によって異なるのだが、年金額が少ない等の生活苦が理由の場合が多いように感じている。

例えば現在、国民年金の平均受給額は、月当たり約5万3000円となっている。この金額では足りないので、足りない分を、働くことによって補いたいと考えている高齢者は多いのだ。

しかし、そこでネックとなるのが、最低賃金となる。

使用者が、人を雇う場合、どうしても労働生産性を考えることになる。

同じ仕事で同じ時給で働いてもらう場合、どうしても年齢の若い方を採用してしまうのだ。

現在の日本では、学生も社会人も無職者も退職者(高齢者)も等しく同じ最低賃金が適用されている。

案外知られてないことであるが、ヨーロッパ諸国では、一応、最低賃金は存在するのだが、学生や高齢者等は最低賃金より安い賃金で雇えることになっている。

この考え方の根底には、学生が社会人と同じ時給でなくても構わないという考え方がある。(学生なら最低賃金の半分等)

実に合理的な考え方であり、濱田も日本も早くそうした方がよいと考えている。この考え方を導入しないと、高齢者の職探しが非常に難しい状況は続く。

70歳を超えた方でも、時給500円なら依頼したい仕事はあるはずなのだ。残念ながら、現状の法律下で時給500円で高齢者を雇った場合、使用者側は違法行為で逮捕されてしまうのだ。

2019/09/18(Wed)
転機
人生には、大きな転換点というのがいくつかあって、今日がその日なんだと感じた。

濱田は現在49歳。振り返るに、その時その時に目指すべき目標や課題があって、今回、大きな仕事が舞い込んできた。目標は来年の3月末。

濱田に仕事を任せたいという方がいて、人生にはそんなこともあるのか、と思うのである。

2019/09/16(Mon)
お祭りに参加
秋の藤崎宮例大祭に参加。

朝4:30に堂免公園に集合。濱田が参加している江原会は22番の出発。出発が早かったので、9時過ぎには朝随兵は終了。午後の夕随兵は14:30の出発で、藤崎宮には17:30ころに到着。

沿道には沢山の見物客が並んでいるのだが、99%以上の方は知らない人だった。政治の世界で長いことやってきたが、未だにほとんどの有権者を知らないでいる。

濱田は限りなく未だ、無名の存在であること、を思う。

政治の世界は謙虚でないと、すぐに足をすくわれることが分かるのだ。

祭りに参加しながら、政治というのはやってもやっても終わりはないなぁ、と感じた。また、立憲民主党熊本県連として活動の仕方なども含めて、次の1手を考えていかなければならない、とも思った。

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4月の選挙が終わって、濱田は肉体改造も込めてスポーツジムによく通うようになった。週に3回程度。(以前は週に1回程度。)

筋力はかなりついてきて、祭りを終えてもまだ余力が残っていた。

2019/09/13(Fri)
一般質問続く
9日の代表質問から始まって、13日までに計13人の県議が登壇。17日まで一般質問は続く。

これまで4人の新人県議の質問もあった。

4月の県議選で新人が9名初当選。1期生と2期生で計23人。濱田は3期目なので、下が23人もいることになる(県議会定数49人)。

議会というのは、入れ替わりが激しい世界だということが分かる。

議員が世の中を変える方法というのは、幾つかあって、やはり、最大の方法は、議会を通じて、行政・政治を動かしていくやり方なんだと思う。

このHPをご覧になって頂いてる方ならご理解頂けると思うが、政治というのは、地道に地道にやっていくことで、ほんの少しずつではあるが、良い方向に進むのである。

今回取り上げた高校の学生服の問題然り、LGBTの問題も然りなのだ。

質問を作成するにあたっては、各部署からヒアリングを行い、資料を読み込み、必要とあらば現場を見に行き、そして様々な知見を加味して書き上げる必要がある。

今回の濱田の質問は7項目だったが、10くらいの部署からヒアリングを行い、結果的に幾つかの質問はボツになっている。

質問として成立した質問と成立しなかった質問とがある。

つまり質問が完成するまで、多くの時間と多くの関係者の労力や協力があるのだ。また一連の作業ができるのは、濱田が議員であるからこそ可能であることが分かる。

濱田に質問可能な権限を与えてくれているのは、有権者であり、その力の源泉は、選挙という方法でのみでしか得られないのだ。

だからこれからも県民の代表としてトコトン真面目に取り組んでいきたいと考えている。

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質問内容はメルマガで即座に情報発信しているので、本当に多くの関係者から感想が届いている。

メルマガはダイレクトに有権者に届くので、第三者が介在する余地はなく、本当の政治の面白さが直接的に届くようである。

濱田はメルマガを通して、政治の本当の面白さを伝えられたら、と考えている。本当の面白さとは、行間に潜む【知性】と【情熱】を指す。

本当は、本会議場の現場で県議の話を聞くのが一番面白いんだと思う。濱田の質問は、結構、議場から笑いが起きて、時にはヤジが飛んで、だから居眠りしてる暇はないのだ。