2025/08/26(Tue)
戦前を美化してはならない
SNS全盛の時代、戦前を美化する発信者が後を絶たない。
特攻隊員たちの死を美化したり、大東亜戦争は、アジア諸国の解放が目的であり、侵略などあり得なかったとする説。 そして保守を名乗る政治家達が、盛んに戦前を美化するようになっている。 日本は、戦前、どんな国であったか? 端的に言うと、【暴力】が支配する国であった。 戦前、多くの政治家が【暴力】により命を落としている。 満州事変(1931年)の翌年、犬養毅首相は首相官邸で陸軍将校たちによって暗殺されている(5・15事件)。 犬養首相の暗殺以降、日本では事実上、政党政治は終わり、軍国主義へまっしぐらとなった。 犬養首相の他にも、多くの政治家(総理経験者)が命を失っている。1931年には、濱口雄幸首相が刺殺され、1936年には、2・26事件で高橋是清蔵相、斎藤実の首相経験者が暗殺されている。 気に食わない奴らは、殺されたのだ。 そして日本は、世界でも稀に見る全体主義・軍国主義の国へ変貌していったのだった。 当時の指導者たちは、国家神道を推し進め、天皇を現人神だと喧伝。 日本は、天皇を中心とする国体であり、国難が訪れた時は、命を捧げよ、と説いたのだった。 戦前、日本は【政教一致】の国柄であった。 国家神道の下、あの世の存在が肯定されていたので、肉体は滅んでも魂は不滅だと信じられていた。だから、「靖国出会おう」が合言葉となった。 片道の燃料と弾薬を積んで若者に神風特攻を強要する軍隊など、世界のどこにも存在しなかった。これは日本だけの現象だ。 神風特攻は、美化されているが、実際は、若者に死を強要するとんでもない戦術、無謀な作戦と言えた。 特攻隊員たちは、同調圧力の下、特攻を志願するしか、選択肢はなかったのだ。 特攻を志願しなかったらば、卑怯者の誹り、が待っていたのだ。 日本人特有の同調圧力。 特攻隊員たちの多くは、もちろん死にたくなかった。 進んで、死を志願する者など、いないのだ。だから、多くの特攻隊員たちは、恐怖に打ち勝つため、恐怖を和らげるため、覚せい剤を打たされたのだ。こういった不都合な事実に関しては、保守系の人達は語らないでいる。 特攻隊員たちの遺書は、すべて検閲され、政府や軍部に都合の悪い記述は、すべて削除されたのだった。 満州事変の翌年の1932年、満州国が建設されている。 満州国の建設の際しては、五族協和等が謳われたが、実際は制御の利かない【関東軍】が行った政治的な蛮行としか言いようがなかった。 以下、ウィキペディアより関東軍の説明引用・・・・・・・・・・・・ 関東都督府(関東州と南満洲鉄道附属地の行政府)の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれた。満洲事変を引き起こして満洲国を建国し、日満議定書(1932年9月15日)後は満洲国の首都である新京(現中華人民共和国吉林省長春市)に移転した。 現地の佐官級参謀陣が自らの判断で、政府の不拡大方針を無視して柳条湖事件や張作霖爆殺事件などの謀略事件を強行し、その後の日中戦争や太平洋戦争に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす要因となった。 なお、満洲事変は参謀本部や陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、陸軍大元帥で統帥権を持つ天皇の許可なしに軍事行動をする事は明確な軍規違反であったが、首謀者達は処罰されるどころか出世した。以降、関東軍は規模を拡大させ、1941年(昭和16年)の最大規模時には総員74万人を数えるほどになり、1945年(昭和20年)8月9日のソ連侵攻で壊滅するまで、満洲国の実質的な統治を行った。 引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 戦前の日本には、参謀本部や帝国陸軍、帝国海軍の他に、制御不能の関東軍という存在があったことが分かるのだ。 統制の取れない関東軍が、自作自演、でっち上げの事件(柳条湖事件)を起こし、満州事変を引き起こし、暴走して満州国まで創り、日本を奈落の底に突き落とす、大きな要因となったのだ。 見方を変えれば、大東亜戦争は、アジアの解放は建前に過ぎず、軍人たちの主導権争いに過ぎなかった側面が強いのだ。 日米開戦の翌年(1942年6月5〜7日)に行われたミッドウェー海戦で、日本帝国連合艦隊(帝国海軍)は、壊滅的な敗北を喫している。 日本は、第一航空艦隊の赤城を含む空母4隻(艦載機248機)を失い、3000人を超える兵士が海上の藻屑と消えた。 ミッドウェー海戦は、太平洋戦争の転換点と言われ、この戦闘における敗北によって日本側は制空権と制海権を失い、以後は戦争の主導権がアメリカ側に移ったことで知られている。 しかし、日本国民が、連合艦隊の敗北を知ったのは、戦後のことであった。 戦前の日本は、情報統制が強いられ、都合の悪いことは、一切報道されなかった。 「勝った、勝った、また勝った!」 マスコミは、今も昔も、政府の御用聞きでしかなかったのだ。 インパール作戦で、あり得ないくらいの無謀な作戦が強行されたが、そんな事実も一切報道されなかった。そして、多くの兵士が、無謀な作戦の下、尊い命を落とした。 いま、保守系の政党、保守系の政治家の多くが、【スパイ防止法】が必要だという。 戦前、日本は【治安維持法】の下、監視社会、密告社会に陥った過去がある。言論は封殺され、政府や軍に都合の悪いことを言おうものなら、即、逮捕され、拷問を受けた歴史を持つ。 いま、多くの政治家が、表面的な上っ面だけの歴史認識で、歴史を語り、国家観を語る。 そして戦前をやたらと美化する。 日本は、素晴らしい国だったと、殊更に強調する。 否、今の方が、よっぽどいい国ですよ。 こんなに自由にモノが言えて、教育・医療・福祉・介護政策は、世界最高レベル。 以前に比べて、日本人が貧しくなったと言っても、日本中どこに行ってもスラム街はないし、路上に乞食があふれてる、そんな光景も見当たらない。 先進各国の大学生が、就職先が見つからず、途方に暮れる中、日本学生の就職率は、いまや過去最高レベル。引く手あまたなのだ。 そして、いまだ世界堂々の世界第4位の世界が羨む経済大国だ。 政治家がやるべき仕事は、社会に存在する不条理や時代と共に変遷する問題や課題を見付け、解決に導くことにある。 大衆の不安を煽り、戦前を美化し、日本はいい国だった、と喧伝することではないのだ。 とにかく、上っ面だけの、おかしな時代になったもんだと、思うのである。 上っ面の政治家が持て晴らされる時代。 政治家が明確な経済政策を語ることなく、上っ面の理念や感情を前面に押し出し、対立を煽り、戦前を美化する。 具体性はないので、結果として、さらに貧しくなっていく。 困った時代になったものだと思う。
2025/08/25(Mon)
トマトの注文
楽天でトマトの注文が入っていた。値段は送料込みの5480円・20玉。
トマトの注文は今月2件目。 https://search.rakuten.co.jp/search/mall/?sid=433662&l-id=shoptop_shopmenu_allitems 5月から始まった楽天の販売は、横ばい状態が続く。月20件ほどの注文。 楽天に出店している業者で、2年目も再出店する業者は約30%。 つまり70%の業者は1年後に撤退するのだ。 楽天へ支払う手数料は13.5%(12.5%+楽天ポイント1%)。 注文件数が少ないならば、楽天のために働いているようなものとなる。 どうやって、注文を増やしていくか、が今後の課題なのだ。 注文件数がどうあれ、楽天のページに自社の商品が増えていくのは、楽しいことだと感じている。 まったく知らない、会ったことのない人から、注文が入るのだ。ネットのなかった時代では、考えられないことなのだ。 とにかく、売上を増やしていくには、地道に誠実にやって行くしかないのだと思う。 近道などは、ない。商売の基本は、いつの時代も同じだ。 10月からふるさと納税の返礼品事業が始まる。 もちろん競合他社がひしめき合っており、その中でどうやって自社の商品を選んで頂けるか・・・・ 試行錯誤は続く。 ただ、最新の生成AIに相談して、新しい商売をやって行くというのは、実に楽しいことで、楽しくやって行くならば、なんとかなるのではないか、と思うのである。
2025/08/24(Sun)
ベンチャー企業
濱田は、過去にいくつかの仕事をしてきたが、いずれの仕事も、同業他社がある仕事だった。
デイサービスも小規模多機能ホームもグループホームも介護福祉タクシー事業も訪問介護事業も八百屋もふるさと納税の返礼品事業も、いずれも、すでにある仕事と言える。 同業他社があって、濱田が発案した仕事ではないのだ。 濱田は、すでに存在している事業をベースに【起業】もしくは【事業継承】したに過ぎなかったことが分かる。 【起業】や【事業承継】は、難しいことではない。その業界の特性をよく理解するならば、失敗する可能性は低くなるからだ。 今回、濱田が取り組んでいる【Artに関する新規事業】は、まったくの別物と言える。 先進事例や類似商品がなく、そもそも同業他社がいない仕事・事業と言えるのだ。 つまりは、【ベンチャー企業】。 濱田は、いま、実際にそのベンチャー企業の設立に向けて取り組んでいる最中であるが、これまで、いくつも課題はあったし、これからも解決しなければならない課題は山積している。 例えば、【資金】をどう捻出するか、も大きな課題と言えた。 なぜなら、ベンチャー企業に融資してくれる金融機関等、ほとんどないのが日本の現実だからだ。 金融機関を通さず、自分達で資金調達をすること。 この約1年半、先行事例がないので、ほぼ手探りの状態で事業を進めて来たとも言える。 濱田の見立て、見識、事業計画が甘いものなら、事業はおのずと失敗することになる。 失敗しないためにどうあるべきか? 仲間を集うこと。 技術者自身が会社設立に加わってくれたならば、おカネなど、ほとんど必要ないことになる。 濱田がアイデアを提供し、メンバーが最新の技術を持ち寄り、製品化するのだから。 もし、すべてを自分一人でやろうとするなら、技術的なことはすべて外部委託となり、結果、かなりの費用が掛かることになる。 大切なのは、自分一人ではなく、アイデアをもとに仲間を募ること。 濱田なりのやり方で、思考を具現化する作業は進む。
2025/08/23(Sat)
夏祭り
地元の講演で、地蔵祭り(夏祭り・盆踊り)が行われた。
この夏祭りは、出水6町内自治会と6町内愛育会(子供会)との協賛となっている。ちなみに濱田は愛育会の会長(2年連続)を拝命。 夏休み中の愛育会の行事としては、朝のラジオ体操(1週間)とこの夏まつりが、年間行事としてある。 今朝は、6時に集合して、夏祭りの準備をした。 公園内にあるお地蔵さんの供養も兼ねているので、近所のお寺から住職をお招きして読経もあげた。 夕方からは公民館で、子ども達のために、スーパーボウルすくいや、ボンボン(水風船)釣り、カキ氷、たこ焼き等を振舞った。 とにかく、これらの準備が大変なのだ。 だから、愛育会では、役員を引き受ける引き受け手が、慢性的に足りていない状態が続いている。 これは、6町内に限ったことではない。 どこの自治会でも、役員のなり手がいない。 ほぼ等しくどこの自治会でも婦人会が消滅し、かなりの数の自治会で老人会が消滅している。そして、愛育会も維持できない自治会が急増しているという。民生員のなり手も慢性的に不足。 自治会と愛育会主催で、夏祭りをやっている自治会なんて、いまや少数派なのだ。 ちなみに、毎月の公園清掃をやっているのは、自治会のメンバーと愛育会のメンバーとなっている。 公園が綺麗な状態が保たれているのは、限りなくボタンティアの皆様の協力があってのことなのだ。 地域のボランティア活動には、まったく参加はしないが、公園は利用。公園のトイレも利用。もちろん夏祭りには参加したい。 しかし、公園の掃除なんてしたことはないし、トイレの掃除なんて論外。なにかしらの役職を引き受けるなんて考えたこともない。 そんな人が多いのが、実態なのだ。 すでに地域のコミュニティーなんて、事実上、崩壊しており、住民同士の繋がりなんてほとんど薄れて希薄になっているので、万が一の時は、頼れるのは、いきなり公的なサービスだけ、という人が多いのが実際なのだ。 盆踊りが終わり、撤収作業を終え、公民館で、ほぼほぼ後期高齢者の役員の皆様と軽く反省会をした。 参加者は、350ミリリットルの缶ビールを1本か2本飲み終え、一概に、疲れた、と口にして会場を後にした。
2025/08/22(Fri)
閃きと確信と
22日、Artに関する新規事業 Cool Art Japanの設立メンバー4人で打合せを行った。
生成AI、アプリ、ホームページ、ECサイト、それぞれの担当者から、進捗状況を聞いたうえで、問題点を洗い出した。 また、店舗をどこに構えるか、どうやって販売していくか、に関して、協議を重ねた。 結果、閃きに近い優れた方法が見つかったのである。 たぶん、こんなことを考え出す人・集団は、他にいないだろうと思う。 濱田が、こんなに楽しみながら仕事をするのは、人生で初めてなのではないか。 過去のどの仕事も面白かったが、今回のArtの仕事は、格段に面白い内容となっているのだ。 メンバーは、皆、50代で、濱田が最年長の55歳。 皆、会社経営者でもある。 皆、それぞれが、技術や経験を持っていて、それを持ち寄るのだ。すでに会社を持ち、暮らせて行けている人ばかりなので、悲壮感は一切ない。 あるとすれば、知的好奇心と、経営者として新規事業に挑戦したいという情熱か。 だから、必ず、結果が出るだろうことを確信するのである。 会議の後、夕方、菊池市の野菜館を訪れた。 店長とO氏が、仕事をしていた。店長は55歳、O氏は47歳。この2人が中心となって、食材専門商社への道が開いていくであろうことを感じるのである。そして10月からは、いよいよふるさと納税の返礼品事業が始まる。 僕らは働き盛りで、知恵と体を使えば、あらゆる困難を乗り超えることが可能であることを、確信するのである。 そして気の合う仲間と仕事を創って行く過程は、最高に幸せなことであることを思うのである。
2025/08/21(Thr)
やりたいことをやる
相棒のG君(50歳)と、Artの関する新規事業の店舗をどこに構えるか、に関して、いろいろと検討を重ねた。
今回の新規事業は、ずばり、インバウンドの外国人観光客向けの仕事となる。 日本のCoolArtを、外国人に売り込む仕事だ。 だから、外国人の多い場所に店舗を構えるのが、ベストとなる。 どこに構えるべきなのか・・・・・ 新会社を設立する10月までには、作品自体は出来上がる予定だ。 その完成したアート作品をどうやって売り出していくのか? 自分達で売り出していくのか、誰かと組んで売り出していくのか(販売委託)・・・・・貸店舗のギャラリーで地道に販売していくのか・・・ インバウンドの訪日外国人にどうやって知ってもらうのか・・・・ 外国人が多く集まる場所・・・・県内で、その条件を満たす場所は、おのずと限られてくる。 県内に適当な場所がない場合、首都圏を中心に場所を探すことになる。 いきなり海外に拠点を設けるのも、ありなのでは?(その場合は、委託販売となるが) 本当に売れるのか?売れないのか? とにかく、新しいことに挑戦するということは、ワクワク感が満載なのだ。 誰もやったことがない、新しい仕事。 だから、試行錯誤は続く。 濱田は、2017年に起業。開業して、4年間赤字続きのデイサービスを購入。7人の従業員を引き継ぎ、事業を始めた。 赤字のデイサービスだったが、濱田は会社を持てたことを嬉しく思った。おんぼろの中古車(送迎車)を何度も洗い、お店もきれいに掃除。 利用者様に提供する食事は、Facebookで毎日、UPすることとした。 赤字続きだったお店は、今では人気店となっている。 濱田は、お店の周辺の草刈りをしている。 一般的に、儲かってないお店の前は、草がぼうぼうだ。だから道路の草も刈る。ゴミが落ちていたら拾う。 起業してから9年目。8年5ヵ月が経過。 7人から始めた従業員数は約70人まで増えた。 規模拡大を目指してきた訳ではない。 やりたいことをやってきただけなのだ。 そして濱田の中に情熱が灯り続けるならば、10年後にはさらに大きくなっているだろうことを思うのである。 規模、売上、利益を追うのではなく、やりたいことを追うということ。 やりたいことを徹底的にやる。 それに尽きるのだと思う。
2025/08/20(Wed)
店舗をどこにするか?
Artに関する新規事業は、技術的な問題はクリアしつつある。
予定では、10月に会社を設立し、ECサイト(ホームページ)を立ち上げ、実店舗を構えて販売していく予定となっている。 実店舗をどこに構えるか? 第1号店をどこにするか? これが、目下の課題となっている。 店舗を構える場合、相応の費用が発生するため、失敗は許されないのだ。 濱田としては、8坪ほどの店舗で充分だと考えている。 店舗を構えず、貸しギャラリーで様子を見る、手ごたえを測る、という方法もある。または、ホテルのラウンジやショップに絵を置かせてもらい、販売していく手法もある。あえて店舗を構えず、ネットだけ、ということもあり得るのだ。 販売手法は、いくつもあるのだが、どの手法が最も効果的であるか・・・・ 熊本に第1号店を構えるのが、それとも最初から東京に構えるのが正解なのか・・・・ 特許まで申請して、時間と労力を掛けて、誰から言われた訳でもないのに、奔走して・・・・ 自分で仕事を創り出すという行為は、想像以上に難しいことが多いのだが、時間つぶしには最適だと思うのである。 濱田は、介護関係者と仕事をして、その取引業者と仕事をする。野菜館では、米、野菜、果物、肉の卸売業者さんと仕事をして、近隣の農家さんと取引をする。 毎日、様々な職種の人と会話するので、楽しくないはずがないのだ。 今度は、Artに関する仕事。 よくやるよ、と思うのである。 |