活動日記

2021/07/23(Fri)
夏休み
介護の仕事に基本、休みはない。

濱田が運営している介護事業所は、デイサービスが3ヵ所、グループホームと小規模多機能ホームの計5ヵ所。昨年11月からは、介護・福祉タクシー事業が始まり、最近ようやく軌道に乗りつつある。

デイサービスのお休みは日曜日だけで、グループホームと小規模多機能ホームは、24時間・365日、開いている。

どの事業も命に係わる仕事であり、その社会的意味は重たい。

濱田は、今年1月に候補者になって以降、基本、休みはない。それまでも基本的に休みはなかったのだが、余計に休みがなくなった。

現在、介護事業の仕事は、妻にほぼすべてを任せており、つまり夫婦そろって忙しい日が続いているのだ。

22日から夏休みが始まった。

夏休みに入った子どもたちには、どこにも連れて行ってあげられなくて、申し訳ない気がしている。

ただ、子ども達は、それなりに成長している。

小6の長男は、野球と塾でゲームで毎日忙しそうにしており、小1の娘はマイペースに毎日を楽しそうに過ごしている。娘は、夏休みに入ってすぐに、算数の夏休みの宿題すべてを終わらせたという。家内が驚いていた。

小1の娘は、どこにも行かない両親を察知して、YMCAが開く2泊3日のキャンプに1人で参加することになった。誰も知り合いがいないのだが、そんなの平気なんだとか。

「キャンプ楽しみー」

とはしゃいでいる。

この子は、世界のどこに行っても平気で自立していけるであろうことを予感させてくれるのだ。

2021/07/22(Thr)
類友
辞任ドミノが続く。

22日、東京オリンピックで開閉会式のディレクターを務める元お笑いタレントの小林賢太郎氏(48)がナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を揶揄する表現を過去に用いていたとして、大会組織委員会は解任を発表。

小林氏は、コントで「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」をやっていたことが指摘され問題視された。今回、1995年発売のDVDが拡散された。

19日には、開会式の楽曲を手掛けていた小山田圭吾氏(52)が、同級生や障害者を過去にいじめた経験を反省する様子なく誇らしげに雑誌インタビューで語っていたことが問題視され、辞任に追い込まれたばかりであった。

濱田は、ネットで過去の雑誌記事を読んでみたが、この小山田氏のいじめは、いじめの範疇を超え、犯罪の部類に属するのではないか、と感じた。ほぼほぼサイコパスの行為。

それに先立ち、電通出身のクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が、タレントの渡辺直美さんの容姿をブタに見立て、侮辱する内容の演出を企画していたことが発覚し、辞任していた。

またその前には、大会組織委員会の委員長を務めていた森喜朗元首相が、女性蔑視発言を行い、委員長を辞任している。

佐々木氏のお友達が小林氏で、小林氏のさらにお友達が小山田氏なんだとか。そのトップが森さん。

類が友を呼ぶ。

類友とは、まさしくこのことなんだと思う。

2021/07/21(Wed)
終業式
21日、2人の子ども(小6の長男と小1の長女)の終業式だった。

長男は、これまで一度も学校を休んだことはない。皆勤賞。案外、こういったことが、自信につながるのだと思う。

長女も、最初の内はママに連れられて登校していたが、最近では一人で小学校に行けるようになった。長女も皆勤賞。保育園の時は休みがちだったので、心配していたが、成長したもんだ。

濱田は、小中高と皆勤賞だった。無遅刻無欠席。ちなみにこれまでインフルエンザに罹ったことは一度もない。

以前、妻から学校を休まなかった理由を尋ねられて、

「学校を休んだら、クラスのみんなから悪口を言われるから、休まなかったのさ」

と答えると、腹を抱えて笑われた。

妻曰く、「そんな(休まない)理由は、初めて聞いた」

とのこと。

長男は、「ありえん」

と大笑い。

濱田家の日常は、実はユーモアで溢れている。

ちなみに今年から通知表は、前期・後期で出すことになったらしく、通知表のない終業式だった。

2021/07/20(Tue)
支持率
19日、朝日新聞が支持率を掲載していた。

菅内閣の支持率は、31%(前回34%)で過去最低を記録。不支持率は、49%(前回42%)だった。

政党支持率は、以下の通り。( )は前回の支持率。

自民 30%(31)
立憲  6% (6)
公明  3% (4)
共産  3% (3)
維新  1% (2)
国民  0% (1)
社民  0% (0)


熊本県は、保守王国なので、立憲民主党の支持率はさらに低いと考えてよいと思う。

それにしても、立憲の支持率の低さには眩暈がしそうなくらいだ。


比例の投票先は、

自民 34%(35)
立憲 14%(14)
公明  6% (7)
共産  6% (5)
維新  8% (7)
国民  1% (3)
社民  1% (1)


前回、九州比例枠では立憲民主党は3議席を獲得。今回は国民民主党との合流もあり、5議席程度まで増やすのでは、と言われている。前回、自民党は比例で7議席を獲得。

政党支持率だけを見るならば、選挙をする意味をどこに見出すのか、難しいのだが、今日も大いに頑張るのだ。

2021/07/19(Mon)
51歳
51歳になった。

正直、40歳を過ぎたくらいから、齢を取るのがそんなに嬉しくなくなった。また齢を取った、くらいの感想か。

51歳なので、あと倍、生きるとするなら、102歳になる。

おそらくそんなには生きないだろうから、男性の平均寿命81歳で考えるなら、あとちょうど30年ということになる。ちなみに濱田の父親は60歳で他界しており、人生は思ったより、短いものなのだ。

濱田は、介護施設をやっているので、この何年か、様々な【老い】を見てきた。

いちばん理想なのは、生涯、健康で、病気にならず、体のどこも痛くならず、最後まで自分でご飯も食べれて、天寿を全うすることなんだと思う。

しかし、現実にはそんな人はほとんどいない。

8割近くの人が病院で亡くなるという現実があるのだ。

濱田が、精力的に働けるのは、どうだろう、あと15年くらいと考えたほうが良いのだろうと思う。つまり65歳前後まで。好条件が揃えば、70歳までか。

本当は、65歳前後でリタイヤして、元気なうちに、どこか旅行に出かけたり、好きなことをするのが、理想なんじゃないか、とも考えている。

人生は、残念ながら一回きりで、あの世なんてものは存在しない。(来世を信じる信じないは人の自由だが)

だからこそ、悔いのないように生きたいものなのだ。

2021/07/18(Sun)
兵庫県知事選挙
兵庫県知事選挙に熊本県で副知事を務めていた金澤和夫氏(65歳)が立候補されていた。金澤氏は、兵庫県で11年間副知事を務め、知事の引退を受けて、今回、後継候補として立候補されていた。

18日、投開票。

残念ながら、自民党と維新の会が推薦する候補に敗れた。

保守分裂選挙になったと聞いていたので、心配していたのだが・・・

5月の初旬に金澤氏の後援会から、立候補する旨の手紙が届いた。

金澤さんとは、10年以上年賀状のやり取りをしていたので、少しばかりの寄付金を送らさせて頂いていた。

残念でならない。

選挙というのは、非情なものである。

2021/07/17(Sat)
熱中
政治の世界は、結果がすべてと言える。

議席を得るかどうかで、まったく状況が違ってくるからだ。

今年1月、様々な議論や経過を経て、濱田は次期衆議院選挙・熊本1区の予定候補者となった。

候補者選定にあたっては、党本部からは、党所属の市内選出の県議3人の中から、どなたかが出るのが基本です、という指示が出ていた。

他の県議2人は辞退し、結果、濱田が候補者となった。

支持率5%の立憲民主党から立候補するというのは、勇気とは違って、蛮勇に近いものが必要になる。1月の時点では、解散は早くて4月にも行われるのではとの話も出ていた。つまり、誰が考えても当選は覚束ない状況。

損得で考えるなら、任期を2年以上も残しての衆議院への挑戦は避けるべきだったと思う。

しかし、濱田は前に進んだ。

それから半年が経った。

濱田は、努力の人間と言える。不断の努力を続ける人なんだと思う。濱田は努力が好きというか、熱中することが好きなのだ。

この半年、最大限の努力を積み重ねてきたと思う。濱田の努力は、おそらく想像以上の努力だ。濱田以外には真似できない。もうこれ以上はできないというレベル。

本来、努力は辛いことだが、熱中しているのでほとんど苦にならない。

そして、超えていく対象は、自分となる。

だから、外野の声は、ほとんど気にならない。ただただ、我が道を行く。

落ちたらどうするのかって、訊く人がいる。

そう、落ちても大丈夫なように、会社を創ってきたのだ。

現在、2つの会社で働く従業員は計63名になった。濱田の肩の上には、従業員の生活もかかっている。会社というのは、経営者がサボれば、すぐに傾く。また従業員にとっては、濱田が選挙に出る出ないは関係のない話となる。

だから濱田は言い訳はできない立場なのだ。また泣き言とか、弱音とか、休んでる暇はないのだ。

ほぼ仕事漬けの濱田を心配する人もいるが、人生において仕事に熱中できることほど面白いことはない。

濱田は、元々強かったのか、強くなったのか。

強くなんかないさ。

ただ熱中できるものに出会い、それを極めようと努力してきただけなのだ。

濱田の勤めていた日商岩井は、国会議事堂のすぐ近くにあった。30歳で会社を辞める時に誓ったのは、必ず、ここ(国会)で働くためにいつの日か戻ってくるということ。

そう、衆議院議員になる、という壮大な目標がすべての始まりだった。

それから21年が経過。

本当に何もないところから、自分を信じて、努力を忘れず、熱中し続け、仕事を創り、雇用を創出し、そして候補者になった。

お前は大したもんだよ、と思う。

そして、お前ならやれるはずであること、お前ならもっとやれるはずであること。

お前は、最初から分かっていたのだろう、と思う。