活動日記

2019/07/13(Sat)
れいわ新選組
9日、れいわ新選組の山本太郎候補(44歳)が熊本入りした。

野党統一候補の阿部ひろみ候補と山本太郎候補との合同演説会が開催された。下通入り口(熊本パルコ)18:00〜

濱田は19:00〜会合の予定が入っており、合同演説会を見学させてもらった。

正直、山本太郎さんは、天才だと思った。

下通入り口には、ざっと数えても400人の聴衆が詰め掛けていた。彼の演説を聴いて、興奮し、涙ぐむ者までいた。

熱狂、といった感じが漂っていた。

濱田の世代は、【天才たけしの元気がでるテレビ】を観て育った世代でもある。その番組の中で”ダンス甲子園”という名物コーナーがあった。全国のダンス好きの高校生が競うダンス大会。

山本太郎氏は当時16歳。その名物コーナーの中で一躍人気者になり、芸能界入り。彼はダンスはちっとも踊らず、海パン姿で「メロリンキュー!」という意味不明のフレーズを披露。ダンスとは決して言えないパフォーマンスで一躍人気者になった。

ちなみにダンス甲子園で真面目にダンスで勝負した若者達は、その後、誰一人として芸能界で活躍することはなかった。ほとんどが鳴かず飛ばず。そのダンス甲子園を踏み台にできたのは、結果的に山本太郎氏ただ一人だったことが分かる。

彼の演説を直に聞いて、政治家というよりも一流のパフォーマーだと感じた。

本質的には、28年前にテレビの前で海パン姿でパフォーマンスを繰り広げ、ブラウン管の先の全国の若者達を熱狂させたのとほとんど同じだと感じた。ブラウン管がスマホに代わったことになる。

とにかく山本太郎候補は「消費税は廃止にします」と訴え、聴衆は熱狂。その他にも実現はほぼ不可能な様々な政策を訴え、その都度聴衆は頷き、そして歓喜に沸いた。

正直、これほど聞いていてスカッとする演説は、これまで聞いたためしがなかった(興味のある方は、ネットで検索して見下さい)。

山本太郎氏は天才なのだ。

山本候補の演説の後マイクを握った野党統一候補の阿部候補は、「山本太郎さんは男の中の男です。阿部ひろみは女の中の女を目指します!」と絶叫していたところで、会場を後にした。

「選挙区は阿部ひろみで比例代表は山本太郎で」と各々が口にしていたので、大丈夫かな?と思った。

2019/07/12(Fri)
参議院選挙
7月4〜20日の日程で参議院選挙が行われている。

参議院選挙は、選挙区選挙と比例選挙の2本立てで行われる。

立憲民主党熊本県連では、7月8日〜11日の4日間、比例カーを動かせることになった(選挙期間中は選挙管理委員会が発行した証票がないと県連の車は動かせないのだ。証票なしで動かしたら違法となる)。

8、9、11日の3日間は濱田自ら運転手となり県内各地を廻った。

また、県連として党本部が発行したチラシの新聞折り込みを行い、別途県連で作成した比例候補者のチラシを各陣営に配った。

今回の選挙は主に比例対策に重点を置いた選挙を行っている。

以前は、全国比例の投票先としては高校の先輩である藤末健三参議(現在3期)を応援していた。しかしその後、藤末さんは民進党(当時)を離党し、自民党と会派を組んでしまった。よって現在、特に応援する比例候補がいないのが実情である。

長年、政治をやっているといろんなことがありますなぁ。

2019/07/08(Mon)
価値観は変遷する(1〜10)
日本人の価値観はその時代時代によって変遷してきたと言えます。

今回は、参議院選挙真っただ中ということもあって、政治とは少し離れたテーマ【日本人の価値観】について論じてみます。少し長くなりますので、お時間のある時にでもご一読頂ければ幸いです。

日本人なら誰でも知っている歴史上の人物 織田信長と豊臣秀吉そして徳川家康を通して日本人の価値観について考えてみます。

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〇価値観は変遷する・その1


織田信長は南蛮貿易を奨励し、異国の富と文化、最新技術の導入に熱心でした。信長は貿易が国を富ますことを誰よりも知っていたと言えます。また、鉄砲の優位性にいち早く気付き、誰よりも早く戦術に取り入れていきました。

結果、連戦連勝。

当時、信長は、南蛮貿易で手に入れたブーツを履いて、異国のズボンを履き、洋服を着て、マントを羽織り、とにかく新しもの好き。好奇心の塊といった存在でした。

また信長は、楽市楽座を開き、国内市場の活性化に力を入れました。

商人に対しては「どんどん儲けよ!」がモットーでした。織田の家来であった豊臣秀吉も基本的に織田の方針を踏襲しています。

織田信長そして豊臣秀吉が天下を統一するまで、戦国武将への報酬は、分捕った土地か金銀財宝(金子)でした。

尾張出身のこの二人は、とにかく派手好き、新しもの好きだったと言われています。またその思考は、常に外(海外)に向かっていたとされています。

一方、三河出身の家康は、幼少時代、隣国の今川家に人質として預けらたこともありました。だから朗らかに穏やかに育つはずはありませんでした。むしろ性格は陰湿で内向的。そんな家康が、好奇心と野望の塊である信長と明朗闊達な秀吉に仕えたことになります。この二人を見ていて妬ましく思ったことは、一度や二度のことではなかったであろうことが想像できるのです。

そんな家康は、72歳の時、天下統一を成し遂げています。

天下統一とは、聞こえは良いのですが、主君である豊臣家を滅亡に追いやったのです。家康は、権謀術数、とにかくありとあらゆる手を使って、豊臣を殲滅。

付いたあだ名は「たぬき」でした。

天下統一を成し遂げた家康は、その後、半ば強引に日本人の価値観を変えていきました。

家康そしてその子孫達(徳川幕府)は、織田・豊臣とは真逆のことを始めたのでした。

先ず、富と情報をもたらす貿易は徳川家にとって危険だとして、大型船の建造を禁じ、結果、【鎖国】を始めました。ポルトガルとオランダからもたらされる海外の情報は、徳川幕府だけが独占。また商人が必要以上に力を持つことを恐れ、楽市楽座などの自由市場も廃止。さらには、日本国内の至る所に【関所】を設けて人々の自由な往来を禁止してしまいました(それまでは日本人は国内を自由に行き来できた)。また飛脚は許すが、馬などによる高速の伝達手段を許しませんでした。

また貫高制を廃止し、石高制を広めています。

江戸幕府は、それまで使われていた宋銭などの銅銭を廃止し、お米を貨幣の替わりにする石高制を採用。

つまり、国を富ますのに必要な人とモノとカネと情報を遮断した政策が推し進められたのでした。

諸国の大名に対しては、譜代と外様に分けて相互監視する仕組みを確立し、さらには【参勤交代】という制度を設けて、諸大名が蓄財できない仕組みを構築。また誰も信用しませんでしたので、江戸に諸大名の家族を人質として住まわせることを強要しました。

民に対しては、【士農工商】という身分制度を考え出し、明確に身分社会を強要しています。江戸時代以前の日本には、明確な身分制度はありませんでした。また百姓にに対しては、【五人組】という相互監視の仕組みを強要し、違反者に対しては、【村八分】で対応させています。さらには、その下の身分までつくり上げ、日本人の分断を迫りました。

また日本人の体躯が良くなるのを恐れ、牛肉を食べることを禁止しています。基本的に食べていいのは、鶏肉だけでした。幕府は、良質な蛋白質を摂取すると体格が良くなることを知っていたのです。

君主を倒して天下統一を成し遂げた家康は、基本的に誰も信用しなかったことが理解できます。ですから、とんでもない政策のオンパレードが続きました。

それが江戸時代でした。

上記の政策でも不安が尽きない家康(徳川家)は、儒教、その中でも君主への異常なまでの忠誠を強いる【朱子学】を幕府の正式な学問として採用しています。

君主の教えがすべて。

江戸の260年で、その考えを浸透させたことが分かります。最後は思想・道徳で民を縛り上げたのでした。

ちなみに徳川家は、【徳】がちっともない家だったので、元々は松平だった苗字を徳川に変えてもいます。

そして江戸時代の約260年を通じて日本人の価値観は大きく変わっていったのです。

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〇価値観は変遷する・その2

徳川家康および徳川幕府は、様々な施策を通じて日本人の価値観を一変させました。

【島国根性】という言葉がありますが、この内向きな思考は、江戸時代の諸政策によって生み出され、結果、日本人気質になっていったと言ってもよいのかも知れません。

日本は海洋国家です。

隣国との間に地続きの国境線は存在せず、あるのは水平線だけです。

日本人は水平線の彼方に何があるのか、見果てぬ先に何があるのか。それを絶えず考えてきた民族と言えました。

つまり、好奇心に満ち溢れた民族だったのです。

海洋国家であった日本そして日本人は、江戸時代以前は、中国や朝鮮さらには東南アジ各国に”ふつう”に出向く民族でした。

平安時代は、数次にわたり遣隋使や遣唐使を派遣しています。最高の頭脳を持った若者を中国に派遣。そして当時の最新の学術の移入に努めています。派遣された若者の中にはかの有名な最澄や空海がいました。

また倭寇と呼ばれた海賊は、中国および東南アジア海域でかなり派手に暴れまわり、当時、恐れられた存在でした。また室町時代には、日本の商人は東南アジア各国に出向き、盛んに貿易(朱印船貿易)を行っています。そしてアジア各国(フィリピン、タイ、カンボジア、ベトナム等々)に出向き、中には日本人街を形成するほど交易が盛んでした。タイのアユタヤの日本人街は特に有名であり、遺跡には日本人の痕跡が今でも残っています。

驚きの行動力でした。

当時はパスポートなんてものは存在せず、明確な法律も存在せず、国境線は今ほど明確ではありませんでした。つまり、人は、好奇心の赴くまま、行きたいところに行けたし、実際に行っていたのです。そんな意味では、人はもっと自由だったのかもしれません。

そして、それが日本人でした。

しかし、そういう日本人のあり様をすべて禁止したのが、徳川家康および徳川幕府でした。

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〇価値観は変遷する・その3


この国では太閤検地を境にして、【貫高制】から【石高制】への移行が起きました。

天下を統一した豊臣秀吉は、度量衡の統一を行い太閤検地を行っています。それまで1反=360歩(坪)だった土地の広さを1反=300歩(坪)に改めて、全国の各々の土地で違っていた枡の大きさを京枡に統一したのです。

ちなみに日本には【坪】という単位がありますが、坪は歩(ぶ)と同じ意味です。

1町=10反=100畝=3000歩(坪)


元々1坪は、1人の人間が1日に必要な米の収穫量を指していました。畳2畳分の土地が1坪です。1年は365日なので、およそ360坪(1反)あれば、1人が生きていけることになります。

結果、1反=360歩(坪)になったのです。

日本古来の単位には、ちゃんと意味があることが分かるのです。

そして秀吉は、より計算しやすいように1反=300歩(坪)に改めたであろうことが分かります。

秀吉は太閤検地を行って税収の基準を明確にしました。あくまで秀吉が行ったのは、石高という税収の基準の確立でした。

それを引き継いだ家康が、石高制度を通じて貨幣中心ではなくて、おコメ中心の社会を築いていったのです。

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以下はウィキペディアによる貫高制と石高制の説明


〇貫高制

貫高制(かんだかせい)は、中世の日本において、土地の収穫高を通貨単位である貫を用いて表した統一的な土地制度・税制・軍制のこと。主に戦国時代・織豊期の戦国大名の領国において普及し、統一的な賦課基準として知行役や軍役、諸役賦課体制の基礎となった。

鎌倉時代・室町時代には、田地の面積は、その田で収穫することのできる平均の米の量を通貨に換算し「貫」を単位として表された。これを貫高(かんだか)といい、それを税収の基準にする土地制度を貫高制と呼ぶ。同じ貫数でも土地の条件などによって実際の面積は異なることになる。これは、米で納めるべき年貢を銭で代納する「分銭」に由来するもので、武家の知行高も貫で表し、貫高に基づいて負担する軍役を定めた。

〇石高制

石高(こくだか)とは、近世の日本において、土地の生産性を石という単位で表したもの。太閤検地以降、地租改正まで、大名・旗本の収入および知行や軍役等諸役負担の基準とされ、所領の規模は面積ではなく石高で表記された。また農民に対する年貢も石高を元にして徴収された。

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〇価値観の変遷・その4

貫高制から石高制への移行は、貨幣経済の否定を意味しました。コメ本位制と言った方が適当かもしれません。コメ中心の経済体制。それを補うものとして貨幣が用いられました。

結果、江戸時代は、諸藩の大名および旗本の俸給は石高つまりおコメになりました。戦国時代までは、武士の俸給は、分捕ってきた土地か金子(金の粒)だったので、政策として考えた場合、かなりの大転換だったことが理解できます。

石高制における1石は、1人の人間が1年間に必要な米の単位とされました。

肥後は54万石ですので、54万人が暮らせる石高があったことが分かります。江戸時代の人口は、約3500万人だったので、肥後(熊本県)の人口は、50万人程度だったことが推測されます。

ちなみに1万石の俸給を貰っていた武士のことを【殿】と呼びました。1万石で養える家臣の数は約200人(非戦闘員を含む)とされ、肥後は54万石だったので、細川家の家臣団は約10800人だったことが推察できます。実際の戦闘員は5000人程度か。

ではなぜ、徳川幕府は石高制を採用したのか?

様々な理由が考えられますが、最大の理由としては、以下のことが考えられます。

〇貨幣経済を導入すると、実力を蓄える大名が出てくるので、それを防ぐために石高制を採用した

貨幣経済を隅に追いやることで、諸大名に経済的な観念を持たせない。

それを実践したのが、徳川家康および徳川幕府でした。

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〇価値観は変遷する・その5

江戸時代には様々な改革が行われていますが、その中でも江戸幕府の三大改革、享保の改革・寛政の改革・天保の改革が特に有名です。

ではなぜ、改革が行われたのか?

つまりは物価が安定しなかったから、その都度改革が行われたのでした。

石高制の江戸時代において物価の基準は米・コメでした。

コメの物価が安定しないことは、即ち、諸大名および旗本・御家人の生活が安定しないこと、つまりは生活が苦しくなることを意味しました。

三大改革に共通している政策としては、物価の安定させるために倹約令などの緊縮財政が行われたこと。そして全国各地で肥料の研究や農機具の改良、新田開発などを通じてコメの生産性の向上が行われたことなどがあげられます。

そして改革が行われるたびに、米の生産性は向上しました。

しかし米の生産性が上がれば上がるほど、結果として武士の生活は困窮するという事態が生じてしまったのです。

当時の改革者達は、倹約令などで無駄を省き、米の生産性を上げれば、武士の窮乏は解消され、幕府をはじめとする諸藩の財政事情も改善するだろうと考えていました。

しかし、実際にはそうはなりませんでした。

米の生産性が向上すればするほど、供給過剰に陥り、武士の実質賃金は下落していったのです。

当時は米が貨幣の替わりでした。その米自体がインフレーションを引き起こしていたことを、当時の誰も気付かなかった訳です。

おそらく「何となく」は気付いていたかもしれませんが、インフレになった分を上乗せして俸禄を引き上げるなどの具体的な対策は、ほとんど行われていなかったのではないか。ですから、倹約令などの見当違いの対策が行われてしまいました。

【インフレ】という概念は、西洋経済学の中で生まれた概念です。アダム・スミスが近代経済学を打ち立てて以降の話。ですからインフレに相当する適当な日本語(訳語)が見当たらないのです。

日本には、インフレという言葉そして概念自体がありませんでしたので、対策の立てようがなかったとも言えます。

また、米の生産性が上がる一方で、火山の爆発などの自然災害(冷害)が原因で飢饉が多発したのも江戸時代の特徴と言えました。

石高制(コメ本位制の経済)で経済を安定させることは、至難の業だったことが理解できるのです。

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〇価値観は変遷する・その6

日本が近代国家に生まれ変わる過程において、【士農工商】の身分制度はいち早く廃止(四民平等)されました。つまり武士は、支配するという特権をはく奪されたことになります。

では特権階級であった武士達を支えるために、江戸時代には社会としてどのくらいのコストが必要であったのか?

四公六民という言葉が残っています。

四公六民とは、税金が4割で自分の取り分は6割であることを意味します。五公五民は税金が5割であること。藩によっては、六公四民が当たり前の地域もあったとされます。

つまり最低でも税金で4割も持っていかれる社会。それが江戸時代でした。当時の百姓にとってみれば、かなりの重税感が存在したことが推察されるのです。

自分が汗水流して作った米の半分を持っていかれる時代。

”百姓は生かさず殺さず”。江戸時代は、そんな時代でした。

江戸の260年間は、基本的に戦(いくさ)がありませんでした。戦争がない時代に武士達を社会として養っていくためには、それなりのコストが掛かっていたことが分かるのです。

江戸時代は、基本的にそれまでの日本にはなかった身分制度を作り出し、身分を固定化。そして百姓には五人組という相互監視の仕組みを導入し、結果、村意識を定着させていきました。また鎖国によって海外情報を遮断し、海外への自由な交易を禁止。さらには国内の至る所に関所を設け、橋の建設を禁止し、人々の交流を阻害もしています。また食肉を制限し民の体躯が向上するのを恐れました。そして朱子学によって主従の関係を強要した時代でした。

つまり江戸時代というのは、本当にひどい時代だったのかもしれません。

ただ、救いと言えるのは、江戸時代が世界的にみても【極めて平和】な時代だったということです。

徳川家康は、人を騙し、すかし、欺き、主君を裏切り、そして72歳でようやく天下を統一を成し遂げました。家康は、極めて猜疑心の強い人間でしたから、臣下が力を持つのを恐れ、貨幣経済を導入せず、米本位の石高制を採用。それでも心配な家康は、思想面からも朱子学を導入して上下関係を強要しています。

ここまでやるか、という政策のオンパレードなわけであるが、その代わりに、日本人は平和を手に入れたと言えるのかもしれません。

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〇価値観は変遷する・その7


”武士の商法”という言葉があります。

この言葉は、明治維新後、武士が商売をやってみたら、ほぼ間違いなく失敗する様を表した言葉です。

”読み・書き・算盤”は、江戸時代を通じて子供たちが学ぶべき必要最低限の素養とされましたが、支配階級の武士の子弟には、”読み・書き”のみが教えられました。武士の子弟には、意図的に数の概念(算盤)を教えなかったのです。

ですから武士の商売が上手くいくはずはありませんでした。

数字に強い士族の出現は、徳川家にとっては将来的な脅威または害悪以外のなにものでもありませんでした。数字に明るいことは、結果的に経済力に繋がります。

だから、士族の子弟には、数字自体を学ばせない。これが徹底された時代でした。

徳川幕府が、代わりに奨励したのが、道徳の教科書と言える『四書五経』をはじめとした中国の古典であり、さらには儒学の中でも上下関係に重きを置く【朱子学】でした。

貫高制から石高制への移行、参勤交代、関所の設置、橋の架橋の禁止、外国との交易の禁止、食肉の禁止、等々・・・

つまり江戸時代に実施されたほぼすべての政策が、諸藩の大名または庶民に【強い経済力を持たせない】という意味では、通底していたことが理解できるのです。

また情報を遮断し、人的、物的な交流をできる限り阻害し、思想面では朱子学を通じて君主には絶対的な服従を半ば強要する。

260年間もそのような状態が続くと、日本人の思考は必然的に【内向き】になっていきました。また、260年間も貨幣中心ではなくコメ中心の経済体制がとられた結果、「おカネは穢れたもの」「おカネの話をすることはよくないこと」といった価値観、日本人がかつて経験したことになかった価値観が浸透していったのでした。

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〇価値観は変遷する・その8


これまで見てきたように、徳川家を存続させるために導入された様々な政策の結果、日本人の思考は、いつの間にか【内向き】のものになっていきました。

変わっていった日本人の価値観の中でも【おカネに関する価値観】は、その後、日本人の思考を呪縛し続けることになっています。

例えば、為政者(政治家)に限らず、庶民に至るまで、公の場でおカネの話をすることは、日本では事実上の【タブー】となっています。

先般、金融庁が人生百年時代を考えた場合、年金だけでは足りないので、現役時代に貯蓄や投資などで2000万円程度の資産を形成するように促す報告書を作成しましたが、それが大問題になってしまいました。

本来、問題視するような事柄ではないのに、政府はその報告書の受け取りを拒否する事態にまで発展。

この問題の根底には、公の場でおカネの話をしてはならない、とする日本人特有の価値観が存在している可能性が高いことが分かるのです。少なくとも現実逃避する背景には、日本人特有のおカネに対する価値観があることだけは確かなことと言えます。

公の場所でおカネの話をしない事例は他にもあります。

例えば日本の借金問題。

日本政府は現在、1100兆円を超える借金を抱えるに至っています。この借金額は、有史以来人類史上最大の借金額と言えますが、どの政治家もこの問題に触れようとしません。

本来ならば国会(公の場所)で、侃侃諤諤の議論をすべきテーマであるはずなのですが、ほとんど議論した様子はありません。

プライマリーバランスの黒字化は、当初、2020年までには達成の予定でしたが、いつの間にか2025年の達成に先延ばしがなされています。

いかにして借金を返していくのか?

これに関しては、今回の参議院選挙でも争点にもなっていません。

とにかくどの政治家も誰もおカネの話をしようとしないのです。

この背景にも、おカネの話はタブー視するという日本人特有の価値観が影響していることは、ほぼ間違いない事実だと言えます。

とにかく政治家はおカネの話をしないし、国民もおカネの話をしないのです。政府そして政治家はおカネの話は忌避するが、借金だけは積み重ねる。そして多くの国民は、老後の自己資金の確保さえままならない状態に陥る。

国家としても個人としてもおカネのことを考えないということ。

本当は、おカネの問題は、いちばん大切なテーマと言えるのですが、おカネの話を避けようとする日本人特有の価値観が存在することが分かるのです。

おカネの話を忌避する背景として【徳川260年の呪縛】があることに気付いている日本人というのは、実はほとんどいないのかもしれません。

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〇価値観は変遷する・その9


「あなたはなんのためにお金儲けをするんですか?」

この問いに対して、多くの日本人が答えに窮するか、それとも、「自己実現のため」「家族を養うため」「家を買うため」等々とありがちな返答をすることが予測されます。

人前でおカネの話をしないのが【美徳】だ、と信じ込まされてきた日本人は、そもそもおカネがなんのために必要なのか。またおカネとはどのような性質・意味合いを持ったものなのか。そんなことは、考えたこともなかったし、考えようともしてこなかったのかもしれません。

そもそも親から、おカネはどんなものなのか、を直接的に教えられた日本人自体が、ほとんどいないのではないか、と考えています。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904年)という本があります。これは政治・社会学者 マックス・ウェーバーが書いた論文で、政治・経済・社会学部系の学部に進んだ大学生なら、まず間違いなく読んでいる本(論文)です。

この論文は、なぜ近代資本主義が成功したのか? を明示してくれた画期的な論文とされ、論文を読んだ世界中の人々が「そうだよね!」「そうだったんだ!」と膝をうったとされます。

そんな名著。

近代化される前のヨーロッパは、基本的にカトリックの教えがほぼ生活のすべてを規定・支配する世界と言えました。神は絶対的な存在で、人々が神から救済されるかどうかは、最後の審判まで分からない。そしてお金儲けは、美徳ではなくて悪徳とされた時代でした。

『ベニスの証人』に登場する悪徳高利貸しを思い描くと分かりやすいと言えます。当時、金儲けをする者は、基本的に悪者でお金儲けは悪徳と考えられたのです。

お金儲けを悪者にして否定したのでは、資本主義は発展しないことになります。

そんな西洋社会に登場したのが、当時、新興宗教だったプロテスタントの考え方でした。

プロテスタントのどこが画期的だったのか?

プロテスタントでは、行動的禁欲をもって自分の仕事に勤勉に励み、安くて良質な商品やサービスを人々に提供し、その結果として【利潤】を得るのであれば、それは【隣人愛】の実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、救済を確信させる証である、と説きました。

また利潤の多寡は、【隣人愛】の実践の証であり、救済を確信させる証である。そのため、利潤は多ければ多いほど望ましいとされました。

結果、プロテスタントのこの考え方は、それまでカトリックでは否定されていた金儲けに正当性を与えました。

マックス・ウェーバーは、お金儲けを積極的に肯定するプロテスタントの倫理が、近代資本主義を生み出し原動力となったことを分かりやすく明示・説明したのでした。

つまり欧米の経済人は、以下の様な考え方を共有している人が多いことが分かります。

〇お金儲けによって手にする利潤は、隣人愛の実践の証であり、自身の成功は救済を確信させる証である

そして現在、当時称賛されたプロテスタントの倫理は、その後生まれた新自由主義、強欲資本主義の考え方にも正当性を与え、いまや留まるところを知らないでいます。

マックス・ウェーバーは、現在の世界を見たなら、なにを考えるのか。

お金儲けの意味合いを問われても、明確に答えられない日本人とお金儲けに正当性を見出す欧米人。

おカネに関する価値観の相違。

欧米人のお金儲けに対する価値観を知っておかないと世界に対する理解は進まないし、また彼らと経済的に戦えないことが分かるのです。また、日本人の中にずば抜けたお金持ちがいない理由は、上記の中に見出すことが可能なことが分かるのです。

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〇価値観は変遷する・その10


現在の日本には、世界に誇れる様々な文化や技術や伝統があります。

日本人が生み出した国民皆保険もそうですし、全国津々浦々の小中学校で等しく教育が受けられるシステムもそうです。上下水道水もそうです。

世界中の大半の国家では、未だに保険制度自体が存在しませんし、教育を受けたくても受ける環境にない国が数多く存在します。水道水が100%飲料水として飲める国なんて事実上、日本しかありません(少なくとも人口1億人を超える国では日本のみ)。

世界に誇る事例を挙げだしたら、切りがありませんが、濱田が考える日本が世界に誇れる価値観を最後に述べておきます。


【職業差別がない社会であること】

現在、日本・日本人は職業差別というのをしない国または国民性となっています。星の数ほど様々な職業が存在しますが、基本的に現在の日本人は、職業差別というのをしません。

もちろん人気の職業・職種というのは存在しますが、日本人はどの職業が上でどの職業が下だとは考えません。たとえ、どんな職業に就いたとしても、真面目に働くことこそが、【美徳】である。

今の日本には、そんな価値観が浸透しています。

実は【職業差別をしない価値観】を持つ国というのは、世界的にみても稀な存在であることが分かるのです。

基本的に日本以外のほとんどの国には、強烈な職業差別が存在すると考えて先ず間違いありません。

例えば、現在のアメリカでは、自分の学歴と職種は、ほぼ一致する社会となっています。高い報酬を望むなら高学歴が必要であり、またそれに値するスキル(技術)が必要となります。学歴とスキルがない者は、それ相応の職業にしか就けないことを意味します。

学歴とスキルの両者がない者は永遠に沈む社会。それが現在のアメリカと言えます。

当然、アメリカには日本人が想像する以上の職業に対する差別意識が存在することになります。

アメリカに限らず、ほとんどの国で、気の毒なくらいの職業差別が存在しているのが世界の現実と言えます。(欧州各国では、若者の失業率は国によっては30%を超え、職業差別どころか職にも付けないという状況下にもある)

昨年、日本は明治維新から150年目の節目の年を迎えました。この150年で日本人の価値観は様々な分野で変遷を遂げていることが分かります。

おカネに関する日本人の価値観は、江戸時代の石高制の導入により一変し、現在でも日本人のおカネに対する価値観に大きく影響を与え続けています。

マイナス金利下でほとんど利息が付かない状況下でさえ、ほとんどの日本人は文句を言わず、従来通り金融機関へ預金し続けています。これは江戸時代に為政者が広めたおカネに対する考え方が、いま尚、日本人の思考を縛り続けていることの証左と言えます。

”おカネは悪徳であり、おカネの話をしないことが美徳である”

明治維新により士農工商の身分社会は否定され、四民平等へ。そして第二次世界大戦を経て、日本人の職業に対する意識もさらに変遷していきました。

どんな職業に就いても真面目に働くことこそが大切である。

そんなフラットな価値観が生まれました。

しかし現在の日本では、非正規雇用の割合は40%(2100万人)を超えるまでになり、これまで日本人が大切に育んできた価値観が壊れようともしています。まさにその瀬戸際にあるのかもしれません。

以上これまでみてきたように、あらゆる意味で価値観は変遷し続けます。為政者の思惑次第で価値観は変わり、また時代とともに価値観は変遷し続けます。

濱田は政治家としていまだ微力ではありますが、日本人が大切にしてきた価値観をこれからも大切にしていきたいと考えています。また世界に誇れる新しい価値観を皆さんとともに創出していけたら、と大真面目に考えています。


2019年7月16日(火)

熊本県議会議員
濱田大造



2019/07/07(Sun)
価値観は変遷する・そのI最終回
現在の日本には、世界に誇れる様々な文化や技術や伝統がある。

日本人が生み出した国民皆保険もそうだし、全国津々浦々の小中学校で等しく教育が受けられるシステムもそうだ。世界中の大半の国家では、未だに保険制度自体が存在しないし、教育を受けたくても受ける環境にない国が数多く存在する。水道水が100%飲料水として飲める国なんて事実上、日本のみではないのか(少なくとも人口1億人を超える国では日本のみ)。

日本が世界に誇る事例を挙げだしたら、切りがないのだが、濱田が考える日本が世界に誇れる価値観を最後に述べておく。


〇【職業差別がない社会であること】

現在、日本・日本人は職業差別というのをしない国または国民性となっている。星の数ほど様々な職業が存在するが、基本的に現在の日本人は、職業差別というのをしない。

もちろん人気の職業・職種というのは存在するが、どの職業が上でどの職種が下だとは考えないのだ。たとえ、どんな職業に就いたとしても、真面目に働くことこそが、美徳である。今の日本には、そんな価値観が浸透している。

実は、【職業差別がない国】というのは、世界的にみても稀な存在であることが分かる。

基本的に日本以外のほとんどの国に強烈な職業差別が存在すると考えてよい。

例えば、現在のアメリカでは、自分の学歴と職種は、ほぼ一致する社会となっている。高い報酬を望むなら高学歴が必要であり、またそれに値するスキル(技術)が必要となる。学歴とスキルがない者は、それ相応の職業にしか就けないことを意味する。

学歴とスキルの両者がない者は永遠に沈む社会。それが現在のアメリカなのだ。

当然、アメリカには日本人が想像する以上の職業に対する差別意識が存在する。

アメリカに限らず、ほとんどの国で、気の毒なくらいの職業差別が存在しているのが世界の現実なのだ。(欧州各国では、若者の失業率は国によっては30%を超え、職業差別どころか職にも付けないという状況下にもある)

昨年、日本は明治維新から150年目の節目の年を迎えた。この150年で日本人の価値観は様々な分野で変遷を遂げている。

おカネに関する日本人の価値観は、江戸時代の石高制の導入により一変し、現在でも日本人のおカネに対する価値観に大きく影響を与え続けている。

マイナス金利下でほとんど利息が付かない状況下でさえ、ほとんどの日本人は文句を言わず、従来通り金融機関へ預金を預け続けている。これは江戸時代に為政者が広めたおカネに対する考え方が、いま尚、日本人の思考を縛り続けていることの証左と言える。

”おカネは悪徳であり、おカネの話をしないことが美徳である”

明治維新により士農工商の身分社会は否定され、四民平等へ。そして第二次世界大戦を経て、日本人の職業に対する意識もさらに変遷。

そしてどんな職業に就いても真面目に働くことこそが大切である。

そんなフラットな価値観が生まれた。

しかし現在の日本では、非正規雇用の割合は40%(2100万人)を超えるまでになり、これまで日本人が大切に育んできた価値観が壊れようとしている。

まさにその瀬戸際にある。

以上これまでみてきたように、あらゆる意味で価値観は変遷する。為政者の思惑次第で価値観は変わり、また時代とともに価値観は変わるのだ。

濱田は政治家としていまだ微力ではあるが、日本人が大切にしてきた価値観をこれからも大切にしていきたいと考え、また世界に誇れる新しい価値観を皆さんとともに創出していけたら、と大真面目に考えている。

2019/07/06(Sat)
価値観は変遷する・そのH
「あなたはなんのためにお金儲けをするんですか?」

この問いに対して、多くの日本人が答えに窮するか、それとも、「自己実現のため」「家族を養うため」「家を買うため」等々と返答することが予測される。

人前でおカネの話をしないのが【美徳】だ、と信じ込まされてきた日本人は、そもそもおカネがなんのために必要なのか。またおカネとはどのような性質・意味合いを持ったものなのか。そんなことは、考えたこともなかったし、考えようともしてこなかったのかもしれない。

そもそも親から、おカネはどんなものなのか、を直接的に教えられた日本人自体が、ほとんどいないのではないか、と感じている。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904年)という本がある。これは政治・社会学者 マックス・ウェーバーが書いた論文で、まともな政治・経済・社会学部系の学部に進んだ大学生なら、まず間違いなく読んでいる本(論文)。

この論文は、なぜ近代資本主義が成功したのか? を明示してくれた画期的な論文とされ、論文を読んだ世界中の人々が「そうだよね!」「そうだったんだ!」と膝をうったとされる。

そんな名著。

近代化される前のヨーロッパは、基本的にカトリックの教えがほぼ生活のすべてを規定・支配する世界と言えた。神は絶対的な存在で、人々が神から救済されるかどうかは、最後の審判まで分からない。そしてお金儲けは、美徳ではなくて悪徳とされた時代だった。

『ベニスの証人』に登場する悪徳高利貸しを思い描くと分かりやすい。金儲けをする者は、基本的に悪者でお金儲けは悪徳とされたのだ。

お金儲けを悪者にして否定したのでは、資本主義は発展しないことになる。

そんな西洋社会に登場したのが、当時、新興宗教だったプロテスタントの考え方だった。

プロテスタントのどこが画期的だったのか?

プロテスタントでは、行動的禁欲をもって自分の仕事に勤勉に励み、安くて良質な商品やサービスを人々に提供し、その結果として【利潤】を得るのであれば、それは【隣人愛】の実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、救済を確信させる証である、と説いた。

また利潤の多寡は、【隣人愛】の実践の証であり、救済を確信させる証である。そのため、多ければ多いほど望ましいとされた。つまりプロテスタンティズムでは、それまでカトリックでは否定されていた金儲けに正当性を与えたのであった。

マックス・ウェーバーは、お金儲けを積極的に肯定するプロテスタントの倫理が、近代資本主義を生み出し原動力となったことを分かりやすく明示・説明したのであった。

つまり欧米の経済人は、以下の様な考え方を共有している人が多い。

〇お金儲けによって手にする利潤は、隣人愛の実践の証であり、自身の成功は救済を確信させる証である。

そして現在、当時称賛されたプロテスタントの倫理は、その後生まれた新自由主義、強欲資本主義の考え方にも正当性を与え、いまや留まるところを知らないでいる。

マックス・ウェーバーは、現在の世界を見たなら、なにを考えるのか。

お金儲けの意味合いを問われても、明確に答えられない日本人とお金儲けに正当性を見出す欧米人。

おカネに関する価値観の相違。

欧米人のお金儲けに対する価値観を知っておかないと世界に対する理解は進まないし、また彼らと経済的に戦えないことが分かるのだ。

(続く)

2019/07/05(Fri)
価値観は変遷する・そのG
これまで見てきたように、徳川家を存続させるために導入された様々な政策の結果、日本人の思考は、いつの間にか【内向き】のものになっていった。

変わっていった日本人の価値観の中でも【おカネに関する価値観】は、その後、日本人の思考を呪縛し続けることになっている。

例えば、為政者(政治家)に限らず、庶民に至るまで、公の場でおカネの話をすることは日本では事実上の【タブー】となっている。

先般、金融庁が人生百年時代を考えた場合、年金だけでは足りないので、現役時代に貯蓄や投資などで2000万円程度の資産を形成するように促す報告書を作成したが、それが大問題になってしまった。

本来、問題視するような事柄ではないのに、政府はその報告書の受け取りを拒否する事態にまで発展。

この問題の根底には、公の場でおカネの話をしてはならない、とする日本人特有の価値観が存在している可能性が高い。少なくとも現実逃避する背景には、日本人特有のおカネに対する価値観があることだけは確かなことと言えよう。

公の場所でおカネの話をしない事例は他にもある。

例えば日本の借金問題。

日本政府は現在、1100兆円を超える借金を抱えるに至っている。この借金額は、有史以来人類史上最大の借金額と言えるが、どの政治家もこの問題に触れようとしないでいる。

本来ならば国会(公の場所)で、侃侃諤諤の議論をすべきテーマであるはずなのだが、ほとんど議論した様子はない。

プライマリーバランスの黒字化は、当初、2020年までには達成の予定であったが、いつの間にか2025年の達成に先延ばしがなされている。

いかにして借金を返していくのか?

これに関しては、今回の参議院選挙でも争点にもなっていない。

とにかくどの政治家も誰もおカネの話をしようとしないのである。

この背景にも、おカネの話はタブー視するという日本人特有の価値観が影響していることは、ほぼ間違いない事実だと言えよう。

とにかく政治家はおカネの話をしないし、国民もおカネの話をしないのである。政府そして政治家はおカネの話は忌避するが、借金だけは積み重ねる。そして多くの国民は、老後の自己資金の確保さえままならない状態に陥る。

国家としても個人としてもおカネのことを考えないということ。

本当は、おカネはいちばん大切なテーマなはずなのだが、おカネの話を避けようとする日本人特有の価値観が存在するのだ。

おカネの話を忌避する背景として【徳川260年の呪縛】があることに気付いている日本人というのは、実はほとんどいないのである。

(続く)

2019/07/04(Thr)
価値観は変遷する・そのF
”武士の商法”という言葉がある。

この言葉は、明治維新後、武士が商売をやってみたら、ほぼ間違いなく失敗する様を表した言葉。

”読み・書き・算盤”は、江戸時代を通じて子供たちが学ぶべき必要最低限の素養とされたが、支配階級の武士の子弟には、”読み・書き”のみが教えられた。武士の子弟には、意図的に数の概念(算盤)を教えなかったのである。

だから商売が上手くいくはずがなかった。

数字に強い士族の出現は、徳川家にとっては将来的な脅威または害悪以外のなにものでもなかった。数字に明るいことは、結果的に経済力に繋がる。

だから、士族の子弟には、数字自体を学ばせない。これが徹底された時代であった。

徳川幕府が、代わりに奨励したのが、道徳の教科書と言える『四書五経』をはじめとした中国の古典であり、さらには儒学の中でも上下関係に重きを置く【朱子学】だった。

貫高制から石高制への移行、参勤交代、関所の設置、橋の架橋の禁止、外国との交易の禁止、食肉の禁止、等々・・・

つまり江戸時代に実施されたほぼすべての政策が、諸般の大名または庶民に【強い経済力を持たせない】という意味では、通底していたことが理解できる。

また情報を遮断し、人的、物的な交流をできる限り阻害し、思想面では朱子学を通じて君主には絶対的な服従を半ば強要する。

260年間もそのような状態が続くと、日本人の思考は必然的に【内向き】になっていった。また、260年間も貨幣中心ではなくコメ中心の経済体制がとられた結果、「おカネは穢れたもの」「おカネの話をすることはよくないこと」といった日本人が経験したことになかった価値観が浸透していったのであった。

(続く)